食について
食に対する考え方
多くの人が、自らの命を懸けて頭をフル回転させ、実践してきたのが食に対する考え方です。
肉食は特に宗教において、実践していいのか、悪いのか、考えられてきました。
主な理由は、不殺生(ふせっしょう)、衛生面(生の豚肉や寄生虫の問題)、近親(動物の親子の同時摂取(肉と卵、肉と乳など))です。
不殺生を掲げる宗教において、間接的でも殺すことを避けられないのであれば、究極的には「何も食べずに餓死する自殺」が最上の行とされる宗教もありました。
私が考える「人間は、生まれながらにして生きようとする罪を背負って生きている」という考え方に照らしてみれば、「その罪を認めてポジティブに生きなければ、自分という命に対しての生命の尊厳の原則に反する」ということが言えると思います。
つまり、人の命が大切なように、何よりも自らの命が大切なのだという原理原則があるということです。
仏教的に言えば、人は煩悩の塊のような存在なのであるから、その煩悩を認めて生きていこうということです。
健康に生きていく為に、肉食で鉄、亜鉛、ビタミンB類、必須アミノ酸、ミネラル類を摂取していきましょう。
屠殺という現実
屠殺の際は、極限まで苦しまない方法で行って頂きたいと思います。
屠殺について
頂くときは、感謝の念を忘れず、美味しく残さないように食べましょう。
自らの血と肉と骨になっているのだと強く認識しましょう。
菜食主義を否定はしませんが、中途半端に菜食主義を実践して肉食した際に受け付けずに吐いてしまうなど、本末転倒なことをしないようにしてください。
私に言わせれば、植物も生きています。
食事は、肉食、菜食、栄養のバランスが大事だと考えています。
屠殺という現実に目を向ければ、食べ物は無駄に出来ないはずです。
Wikipediaより
以下は、Wikipediaの参考資料です。
固定観念を解体すべく、読んでください。
そして再構築してください。
各宗教による肉食の制限を記述
食のタブー
カーニズム(肉食主義)について
まとめ
五木寛之先生の講演で知った、大正末期から昭和初期にかけて活躍した金子みすゞという詩人がいます。
有名な「大漁」という詩では、大漁を喜ぶのではなく捕られた魚の命について思いを馳せています。
その繊細さゆえに、26歳の若さで服毒自殺しています。
自分で死んでしまっては何もなりません。
捕られた魚を感謝しながら美味しく頂いて、生きていくことこそ大事だと思っています。
インポッシブル・フーズ
私自身は今後未来における食の発展において、肉食に変わる必要な栄養がすべて摂取出来て、かつ美味しく頂ける代用食が出てくるのであれば、積極的に移行したいと考えています。
遺伝子組み換え酵母というのが気にはなりますが、要注目です。
食肉問題の救世主になるかも知れません。
皆さん食の問題を意識して、しっかりと前向きに生きていきましょう。