脳について
今回の内容は普段の日常では考えづらい、かなり刺激的な内容、かつ怖いことも含む内容なので苦手な方はスルーしてほしい。
また、これらの事は人間の恐怖の記憶と密接に絡まっているので、最大の恐怖に打ち勝てる自信、そして大いなる意思を信じることができる人だけ読んでほしい。
さらに、未成年者に対する配慮もしてほしい。
牛について
さて、私は現在かなりの田舎、実家に住んでいて近くには牛の畜産農家がある。
先日ブログにて食について、特に肉食について記してから、牛がかなり騒ぐようになってきた。
モーモーと、とてもうるさいのである。
牛が怒っているということだけは伝わってきた。
何に対して怒っているのかは、まだよくわからない。
牛にも脳があるからには、意識があるはずだ。
いわゆる気のようなものが伝わってきた。
私を怖がらせたいのか、私に何を伝えたいのか…。
スペインの闘牛のイメージが湧いてきた。
もっとも、スペインでの闘牛の興行はもうなくなっているのだが…。
可能性を推察してみた。
- ・小さな小屋で繋がれてばかりで、ストレスが溜まっている
- ・子供がいなくなってしまう
- ・いつ屠殺されるかわからない恐怖
- ・屠殺されて解体されるまでの痛みに対する恐怖
- ・そもそも牛肉食自体に怒っている
- ・生きものとしての不条理を嘆いている
しかし、私にどうして欲しいというのだろう。
私1人が牛肉食を止めたところで、どうしようもないのに。
動物の神
ヒンドゥー教
ヒンドゥー教では牛は神であるが、私はヒンドゥー教徒ではない。
神と崇められた10の動物
私はいっさいの宗教を信じない自分教である(もっとも、家は代々浄土真宗なので仏壇の前を通るときは軽く南無阿弥陀仏と唱えたり、葬儀の際はその様式に従う)。
人間の中に神や仏がいないのだから、牛が神や仏になろうはずがない。
しかし、だから考察するのである。
これを記しているちょっと前、少し戸惑いはあったがいつものようにすき家で牛丼サラダセット(並)を食べてきた。
その後帰ってみても、鳴き声は止んでいなかった。
先日のブログを書くまでは、すごく静かだったのである。
できれば、屠殺の実際をこの目で見てみたいという気もしている。
これから生きていく中で、考えていかなければならないテーマである。
どうか、日々を心安らかに過ごしてほしい。
死と食
いろいろと考察している中で、自分が死んだ暁には、出来れば美味しく食べて欲しいなと思えてきた。
大変不謹慎と思われるかもしれない。
しかし、私は常識を疑い、何が真実なのかを考える人間である。
牛が死んだとき、食べてもらえるように私もただ燃やされるくらいなら血となり肉となり骨となって欲しいなと思った。
そう考えると、肉食に対して正当化している罪悪感から少し解放されるように思えた。
人間という生物は食になりうるのか
しかし、人間の肉と言うのは、体に良くない飽和脂肪酸が多く、またクールー病の危険があるので良くないようである。
なにより、モラル的にもありえない話ではあるのだが、パプアニューギニア東部の高地に住むフォア族では、亡くなった人を食べるという習慣があったようである。
クールー病
動物の脳を食すということに関しては、以下のWikipediaを参照してほしい。
BSE
以下は脳の伝染病、プリオン病。
ゲルストマン・ストロイスラー・シャインカー症候群 - Wikipedia
脳を食すると
以下は、脳を食べるとどうなるのか。
脳
Wikipedia
脳機能局在論
機能が局在していることに疑いはないが、それがすべてでは無いと考える
私の場合、左利きなので言語野は右脳にあると思われる
臨界期仮説
言語の習得は、脳の成長と密接に関わっている
ブロードマンの脳地図
意識
シェリングの無意識は重要である
てんかん
著名人のてんかんと意識の関係に着目したい
量子脳力学
ペンローズ・ハメロフ アプローチに共感する
転生
私は夢の中で植物になったことがあり、かなり苦しい経験
輪廻
釈迦は輪廻を否定も肯定もしていない
まとめ
様々な恐怖に打ち勝ち、脳についての考え方を、ご自身でまとめてほしいと思う。