嘘について
嘘について考えてみたいと思います。
エピソード
小学生の頃、兄の真似をしてお袋の財布からお金をくすねることを覚えました。
うちは小遣いなど貰えない家庭でしたので、そのお金で好きなものを買ったりしました。
それを何回か繰り返し、少額ならまだしも何千円というレベルになってきて流石にバレてしまいました。
その時かなりの出まかせを並べ立てたのですが、両親にこっぴどく叱られました。
それ以来「嘘だけはつかない」と心に誓い生きてきたのですが、そのせいでかなり世渡りの下手な人間になってしまいました。
まず、愛想笑いというものが出来ません。
話をするのも、盛ったりしないので口数が少なくなります。
お芝居系も嫌いになり、タモさんと同じでミュージカル系は特に苦手です。
映画、特に洋画は好きで現在1日1本は観るようにしているのですが、ドラマはあまり進んで観ることはありません。
「演じる」ということが得意でありません。
方便
仏教用語に「方便」という言葉があります。
サンスクリット語で「ウパーヤ」といい、目的に「近づく」という意味です。
これは「人を真の教えに導くための仮の手段」ということです。
「嘘も方便」とは、「悪事でない目的を遂げるために、時には嘘をつくことも必要になる」といった意味です。
波羅蜜(はらみつ)という、悟りへ至るために行う修行の中にも、方便があります。
釈迦はよく方便を用いて、教えを説きました。
子供に説法するときに「私がシカだったときにね、~」と輪廻を肯定するような発言もありますが、これも方便とされています。
出来ないことをやるように言い、「~したら、生き返る薬を作ってあげよう」というのも方便です。
時に嘘は肯定されるのです。
自己暗示
役者のように役に入り込んで役になりきる、いわゆる自己暗示をかけてしまうのも方法の1つかも知れません。
嘘(演技)は「他者が気付くかどうか」でその効果が分かれるわけですが、自分自身をも騙してしまえば他者が見破ることは難しくなると思われます。
これから
私は人前で自然な笑顔が足りないので、演じてもいいから笑顔の練習をしなければと思っています。
1人部屋にいるときは面白い動画などを見て笑ったりしているのですが、人のいるところではなかなか笑うことが出来ません。
無理にでもニコニコしていると、本当に何か楽しい気分になってくるのは確かです。
とりあえず、鏡をAmazonでポチりました。
役を演じるように振舞えれば、世渡りも上手になり、ゴールという目的に向かって1つ近づくように思います。
これは、人前でプレゼンするときなどにも応用出来ることかと考えます。
YouTuberにも必要な考え方でしょう。
長年の固執した考えがあり修正するのはなかなか大変ですが、方便は修行の1つと考えて「演じる」ことを覚えなければと思いました。
皆さんの中にも得意不得意があるでしょうが、方便について少し考えてみてはいかがでしょうか。