Isamu's Blog『Reboot』

【 雑記ブログ 】

宗教について#2

宗教について#2

 

 

この記事は2021年3月14日に加筆・訂正しています。

お釈迦様の脳科学

苫米地英人著「お釈迦様の脳科学」を読了しました。

既知の宗教観を解体し、再構築するための気づきや発見が沢山ありました。

 

既存の宗教観にとらわれない方は、是非読むことをお勧めします。  

お釈迦様の脳科学 釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くか?

お釈迦様の脳科学 釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くか?

 

苫米地氏の本は、真島昌利氏の言葉を借りれば「難しいことをわかりやすく、わかりやすいことを面白く」伝えています。

 

ただし、自身の価値観にとらわれた頭の固い人には受け入れられないことが多いので、読む人を選ぶことは確かです。

もちろん、すべてを鵜呑みにすることはありません。

自分自身のモノサシで取捨選択していくのです。

 

苫米地氏のYouTubeを観ると、最後に「以上!」と言ってつぶらな目でカメラ目線で終わります。

「ベッチー、カメラ目線で騙されないよ」と思ってしまいます。

苫米地氏に一目置く、頭のたいして良くない私でさえそう思うのですから、人の心を動かすのは大変なことです。

 

個人的体験 

そして、実はこの本を読んであるところで号泣してしまいました。

それは私の個人的な体験によるものです。

 

それは釈迦が悟ったとき、そのことを人々に教えを説くように説得したのは、インドの神ブラフマー(梵天)だったということが書いてあったところです。

釈迦は、自分の悟りはあまりに言葉で説明するのが難しく深遠だったため、人々に教えを説くことをためらいましたが、3回の梵天の説得により、教えを説くことを決意したというくだりです。

このエピソードを「初転法輪(しょてんほうりん)」というのだそうですが、苫米地氏はフィクションだろうとしています。

 

苫米地氏は、「釈迦は神や輪廻を否定した」という無神論の立場ですが、私は「釈迦は神も輪廻も証明しようがないのだから存在するともしないとも言えないと考えた」という不可知論の立場でした。

神をどのようにとらえるのか・・・。

神々という複数の識ととらえたほうが良いのかもしれません。

 

私は2018年終わり頃の病気の再発の際、「梵天は解脱した」という言葉が降ってきました。

「梵天」という言葉は知っていましたが、それが何なのか知りませんでした。

梵天が釈迦を説得した神だというエピソードを知って、自然と涙があふれてきました。

「梵天は神なのだから、解脱も何もないだろう」という中身については、そうであろうから置いておいて、兎に角、言葉が降ってきたのだから仕方がありません。

 

他にも様々な人格に乗っ取られる(コネクトされる)という体験をしました。

それは実際の人格とは違うであろうとは思いますが、感覚的なものです。

病気の症状だと簡単に片づけられるのは、悲しいものです。

本人にとっては、リアルな現実なのです。

 

悟り

悟りとは上座部仏教では「縁起」、大乗仏教では「空」とされますが、実際の悟りが感覚的なものであるように、神々の存在を感じるのも感覚的なものだと思います。

私も悟りのようなものを体現したり、交信したり、様々な体験がありますが、真の悟りとは何か。

様々な解釈があるかと考えます。

 

私の家は父方が浄土真宗、母方が神道です。

 

私が今拠り所とするのは識であり、自分自身のアイデンティティ、つまり意思を持って選択・決断・行動することです。

識の導きを感じながら、日々考えをブラッシュアップしています。

 

思想は仏道の「縁起」と「空」を中心とした悟りへの道です。

しかし、それは様々な宗教の解釈で変わりうるものです。

指し示すものは、同じなのかなと私はぼんやりと考えています。

 

脳と意識の完全解明による概念を拠り所とするかもしれませんし、宇宙のすべてを解明する統一理論という法則かもしれません。

私の何度かの至高体験は病気に起因するものが多いと思います。

すべてはつながっているのです。

 

これからも感覚を鋭く磨くべく、研鑚を積んでいきたいと考えています。

【 2021.3.14加筆修正 】

 

苫米地英人著「お釈迦様の脳科学」目次 

苫米地英人著「お釈迦様の脳科学 釈迦の教えを先端科学はどう解くか」

目次を記載しておきます。

 

序章 「仏教ブーム」の正体

今なぜ仏教ブームなのか?

日本に仏教は伝わっていない

「仏教」ブームではなく「仏説」ブーム

オウム事件により宗教を批判できるようになった

スピリチュアル批判は日本仏教批判

スピリチュアルブームはオウム事件の後遺症

スピリチュアルの代替品として使われる脳科学と仏教

 

第1章 釈迦は神の存在を否定

原理主義はテロや戦争を引き起こす

最先端の物理学、数学では神は否定された

釈迦は葬式を禁止した

毒矢のたとえ

インドに墓はない

お葬式は「出家祝い」?

脳は科学最後のフロンティア

脳と心は同じ

科学的に絶対ありえないことがオカルト

オカルトは最良のビジネス?

 

第2章 どこまでが「仏教」か?

「インドで仏教が滅んだ」は嘘

どこまでを仏教と認めるか?

厳密には上座部のみが仏教

お布施で成り立つ出家宗教の矛盾

釈迦は立ち上がったときから大乗

財産を置いて出てくるのが釈迦の時代の出家

祇園精舎に鐘の声は響かなかった

大乗仏教は墓守が始めた新宗教

大乗仏教はお経を呪文にしてしまった

大乗仏教には大天才が生まれた

「空」はもっとも抽象度の高い概念

 

第3章 釈迦の教えは社会改革

社会改革派・釈迦は暗殺された?

釈迦の宗教活動はカースト違反だった

差別の根拠となる輪廻を否定

釈迦の「無我説」

 

第4章 日本仏教は老荘思想

神を否定した釈迦が神にされた

日本で浄土宗は念仏を唱える宗教に

「経」という文字が仏教の道教・儒教化を表している

儒教は支配者に都合のよい差別思想

日本では寺が差別を進めた

穢れと思想とシャーマニズム

地獄は中国の僧が発明した概念

 

第5章 チベットのタイムカプセルと般若心経

『チベット大蔵経』は仏典のタイムカプセル

漢語で「偽経」がつくられた

『般若心経』もにせもの!?

『般若心経』を添削

「ギャーテーギャテー」はシュメール語で解読できる

須弥山は今のイラクにあった!?

 

第6章 煩悩はコントロール可能

21世紀は「苦」で仏教を説く時代ではない

「煩悩」とは細胞レベルの苦

煩悩は大きくすればいい

煩悩からゴールを設定してはいけない

ゴールは「have to」であってはならない

「止観」で情動をコントロールする

すべては「縁」によって「起」こる

無明(むみょう)とは縁起を知らないこと

仏教の戒とキリスト教の戒の違い

 

第7章 密教の超能力と方便

『チベット死者の書』は仏典ではない

活仏(かつぶつ)はブッダの生まれ変わりではない

アートマンは続かないが縁起は続く

活仏認定は「いい人」をつくるための「徴兵制度」

密教の超能力は方便

八正道(はっしょうどう)も方便?

釈迦には自力も他力もない

 

第8章 悟りの正体

日本人には方便は必要ない

22世紀は、小学校を出るころには全員が悟っている世界

悟りとは縁起でも空でもない

悟りとはすべてのスコトーマが外れる体験

密教は体感するのに役立つ

「悟り」は運転免許にすぎない

 

あとがき

 

 

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