幸せについて

幸せの定義は、まさに人それぞれです。

 

前回の入院から、寝ている時の夢の質が小さい頃から見ている夢に変わったように思います。

 

何気ない、普通の夢です。

 

それだけで、救われたような気になりました。

 

前回のBlogで、釈迦に「コネクト」したと書きました。

 

何と恐れ多い、本当に頭がおかしくなったのかと思われた方もいるかもしれません。

 

しかし、実感、フィーリングとして釈迦だったのです。

 

その状態の時は、体が勝手に動いてしまいました。

 

もちろん、自我で制御はできます。

 

人間とは何か、自我とは何か、と考えたとき、私は人間は「思考する器に過ぎない。」ということでした。

 

寝ている時の夢と言うのは、後の判断や行動を左右しかねない重要なファクターです。

 

釈迦にコネクトしたことから、私の関心は思想としての仏教に急速にコミットしていきました。

 

私の家は浄土真宗(母方は神道)ですが、親鸞の教え、教行信証や歎異抄に少し触れることになりました。

 

親鸞の言う船に、私は今乗っているような気がしています。

 

幸せな毎日です。

 

その前の私は、自らの遺伝子を残すことを煩悩としていましたが、それも消えかけようとしています。

 

一連の出来事の中で、私は苦しまずに死ねるということでした。

 

それがわかった(それが本当かどうかはわかりません)だけでも、幸せです。

 

幸せのカテゴライズ、みなさんも一度、いや何度もお考えになってはいかがでしょうか。

 

何が幸せなのか。

 

幸せとはどういうことなのか。

 

今回はこの辺で終わります。