若い頃から、ダウンタウンの松本人志という人に注目していました。
最初テレビに出てきた頃は、とんねるずの笑いに対しガツガツしていて面白さがよくわかりませんでした。
「お前みたいなもんは、しんだらええねや。」とか「しねっ、全員しねっ。」などといったフレーズは拒否反応が起こりました。
しかし、本当にしねとは思っていないわけでツッコミというかボケの1パターンなのだと知ると笑えるようになりました。
松本人志のすごさを初めて感じたのは「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」におけるフリートークでした。
ジャズのインプロヴィゼーションさながらの意外性のある言葉やフレーズに、「この発想や着眼点はどこから来るのだろう。」と、松本人志という人をもっと知りたくなりました。
そして書籍なども読みました。
本では基本的に笑えるような話はありません。
ただ、ものの考え方などのヒントがあるように思います。
小さな頃から、笑いの事だけを考えまくって生きてきたことが窺がえます。
そして、伝説のの番組「ごっつええ感じ」におけるコントでその地位を確たるものにしました。
松本人志の切れ味が落ちたかなと感じた時期は、たばこを止めた直後くらいでしょうか。
「ガキ使」のフリートークで、それまでの意外性のあるフレーズは鳴りを潜めストックフレーズやパターンばかりになっていたように思います。
それは、現在に至るまであまり変わっていません。
地上波のいくつかの番組はその傾向が強いのでチェックしていません(ダウンタウンDX、水曜日のダウンタウンなど)。
映画も観ましたが、笑わせたいのか主張したいのか何がしたいのかピントがぼやけたイメージです。
なので、映画は全ては観ていません。
しかし、また転換点が訪れました。
お酒を嗜むようになってからです。
瞬発力は衰えましたが、熟考するタイプがさらに熟考を重ねるようになったように思います。
また、周りに意見するものがいなくなってきたこともあり自らを苦しい状況に追い込もうと元来のストイックさに磨きをかけるように筋トレに打ち込むようになりました。
彼のストイックさは、その筋肉に象徴されるようになったと思います。
ストイックさというのは表になかなか現れません。
理解者が少ないために、目で見てわかるようにしたかったのかと思います。
そして「ワイドナショー」という番組で時事問題に対して意見を言うようになりましたが、度々その主張が批判を浴びています。
彼は独りでに影響力を持ったわけではありません。
松本人志一個人の意見として捉えられない人が、真意も理解せずに言葉の揚げ足を取って批判しています。
松本人志に優等生発言を求めるのは間違っています。
支持する私も、松本人志の意見全てに賛同するわけではありません。
人は常に客観的、批判的な視点を持つべきです。
先日、「死んだら負け」という発言が物議を醸しました。
彼が言いたかったのは、「自殺だけはしたらいけない」ということです。
そのことを日頃から言い続けなければならないということです。
それこそ、深層心理に染みわたるほどに。
自死する人は、最後は衝動的になるかと思います。
その時、無意識の中にでも「自分で死んではいけない」ということがあると最後の最後で思い留まることがあると思います。
実際、自分がそうでした。
統合失調症の当事者である私は「自殺だけはいかん」と思っていました。
しかし、急性期の統合失調症の患者は衝動的に行動してしまうことがあります。
頭の中は真っ白です。
しかしどこかに「いけない」というストッパーがかかるのでしょう、未遂でも死に至るまでの傷は追いませんでした。
自分で死ぬということは、大変なことです。
物凄く勇気のいることです。
また、衝動的にせよ思考停止の無気力状態にせよ、死に至るまでは大変なプロセスがあると思います。
たしかに「勝ち負け」という言い方の問題はあるかもしれません。
しかし、言いたいのは「死んでしまったらおしまいだよ」ということだと思います。
松本人志は常に「オレは絶対負けへんで」と思っている人だと思います。
そこから出てしまった言葉だと思います。
本人が苦しみから逃れる方法を生か死かの2者択一にしてしまう思考を、「生きる方法は、逃げる方法はいくつもあるんだよ」と周りが示してあげることも重要だと思います。
死んでしまった後は、遺族は悲しみと後悔にくれるかもしれません。
そうならないように、死ぬ前にケアしてあげてほしいと思います。
死んでしまってから騒いでも、もう遅いのです。
さて、松本人志は自分でもパワーダウンをわきまえているのでしょう、自分は裏方というかプロデュースするほうに回り、地上波では出来ない番組を作りました。
アマゾンプライムビデオの「ドキュメンタル」です。
主要な演者は自分でなく、自分が認めた後輩芸人です。
職業として笑いの事ばかり真剣に考えている芸人を10人1部屋に集めて、笑わせて笑わなかった者が勝って1000万円を手に出来るという番組です。
参加費は1人自腹で100万円ですから参加芸人は必死です。
地上波におけるようなタブーがほとんどなく、普通に裸になったりします。
下ネタが多いと言いますが、松本人志は下ネタではなくもはやアートだ、芸術だと言及しています。
私も賛同します。
笑いと狂気は表裏一体なのです。
笑ってはいけないという緊張と、笑ってしまったあとの弛緩。
そして笑いをひき起こす意外性。
笑いには意外性が必要です。
この番組には、久しぶりに笑わせて貰いました。
これを観て笑わない人が存在するのでしょうか。
普段あまり笑わない私が声を出して笑いました。
笑いは人にとって必要です。
そういった意味でも芸術だと思います。
松本人志はさらに笑いを生み出そうと挑戦を続けています。
かつて元ブルーハーツ・ハイロウズ、現クロマニヨンズの甲本ヒロトは「ガキ使」を観て笑って、自死するのを留まったという話があります。
そしてハイロウズで「日曜日よりの使者」(「ガキ使」が日曜日に放映しているため)という曲を作ったと言われています。
笑いは人を救うのです。
笑えれば嫌なことを一瞬でも忘れさせてくれます。
笑いを提供してくれる松本人志にありがとう。