バンド活動に限界を感じていた自分はジャズに傾倒していたこともあり、次第に個人での活動に重きをおくようになる。
結局、個人の実力の問題なのではと思い始めていた。
ジャズのセッションをしたかったため、『プレイヤー・ネットワーク』というウェブサイトを立ち上げた。
インターネットが世に出て間もないころである。
このサイトでセッションメンバーを集め、ジャズのセッションを繰り返していた。
仕事は働いて金を貯めては辞めて、しばらく自由に動くといったことを繰り返していた。
食うや食わずの生活を長く続けていると、危機意識が芽生えてくる。
危機管理の経験を積むべく、ギャラもそこそこ良かった警備員の仕事に就いた。
今はもうない新宿駅マイシティで常駐警備をするようになる。
この仕事は相当に辛かった。
責任も重かったし、浮浪者の相手をしたりしなければならない。
頭の中では、シオンのサイレンというアルバムの中の曲『ブーメラン』が流れていた。
今でも時々この頃の夢にうなされることがある。
この仕事を3年ほど勤めた。
この頃、自分にとって重要なアルバム、ジョアン・ジルベルトの『レジェンダリー』と出会うことになる。
立川の図書館で借りたのだった。
これをきっかけに、ボサノバにも強い関心を持つようになる。
ドラムは初代のYamahaのエレドラを導入して練習していた。
João Gilberto - Desafinado
João Gilberto - 02 - Desafinado
João Gilberto -Saudade da Bahia
João Gilberto - 28 - Saudade da Bahia