先日12/7はトム・ウェイツの70歳の誕生日でした。
amazon musicでトム・ウェイツを聴きながら就寝し、夢を見て先程起きました。
起きる間際「命を差し出しても惜しくないような恋がしたい」と願ったら、両足が痺れました。
どういう事だろう、足の不自由な人を探せということか、と思ったら両手が痺れました。
そこで、命を差し出すという事は両足も、両手も無くしてしまうよりも苦しく辛い事だと気付きました。
同時に背中がジーンとする応答がありました。
「その通りだ」というときは、いつもこの反応が起きます。
私はなにかと対話をしているのです。
命と死に対する考え方が、まだまだ甘いのだと思いました。
仏教、キリスト教、それぞれ死生観があります。
先日銃弾に倒れた中村哲さん。
彼はイスラム教を尊重していました。
私は今、イスラム教に先入観しかなく、詳しくは知りません。
モスクやお祈り、ムハンマドについて少し知っている程度です。
小沢健二氏は歌詞にイスラム教について歌ったところがあります。
仏教・キリスト教に加えてイスラム教も哲学として、思想として考えていくべきなのか。
これから少しずつでも触れていければと思います。
知識はあって悪いという事はありません。
仏教は奇跡的なパワーという点ではキリスト教やイスラム教に劣ると思います。
これは体感です。
一時の奇跡に重きを置いても意味が無い、とお釈迦様はパワーを得る事をおそらく放棄したのではと思います。
一方、キリスト教やイスラム教は信者に感じさせるだけのパワーを持ち、求心力を持っているのだと私は考えています。
一切は証拠もないし証明のしようも無いのですが。
しかし、仏教であれ、キリスト教であれ、イスラム教であれ、神(私は神々という立場ですが)を指しているところは同じ存在だと考えています。
レコードだったら擦り切れるまで聴いたと思うトムのCD。
「Oh, Lord let me tell you the feelin' getting stronger」